米富繊維の歴史
_新しい素材があると聞けば先駆けて取り入れ、新しい製品づくりに積極的に励んだ_
_設備は常に業界に先駆けて新設、導入を続けてきた。それは新し物好きでも奇を衒うものでもない。良いモノを、良い環境の下で楽しく明るく産み出したいからだった_
米富繊維株式会社創業者 大江良一著『ファッションは生活なり』より抜粋
“米富”の創業者である大江良一はこう書き遺しています。進取の気質には予てから富んでいました。
どれひとつとして欠かすことのできない風土・歴史・文化が織り成し、これらを連綿と受け継いで培った米富のニットが、今ここに―
米富繊維の歴史
はじまりは生糸や木綿の商いから
戦後の1952年、「米富繊維株式会社」はニットメーカーとして山形県南東部山辺の地で創業、現在に至る。“米富”の名は代々伝わる“米沢屋富蔵”という屋号の通称。その祖は鎌倉幕府に仕えた大江一族とされ、寒河江市の古刹/慈恩寺に移り住み奉行を務め、150~160年前に当たる幕末の時代には既に生糸を手広く商い、後に丈夫で高度な染色技術を誇る山辺木綿の卸し売りに。産地問屋として、明治の初期に横浜まで生糸を売りに出向いていたという記録が残っている。