サマーニットのヨネトミ

ORIGIN & EVOLUTION

夏の、あたらしい涼しさの、創造と進化。

日本において、「サマーニット」という新種のファッションが誕生したのは1959(昭和34)年のことでした。それから半世紀を越えるながきにわたって、米富から、それはつまり山形の地から、夏のあたらしい涼しさの創造と進化は現在にまでつづいています。

HISTORY

ひとりの山形人の構想と
素材探求の果てに生まれた。

米富繊維株式会社の創業者大江良一が開発当時を振り返って語った言葉は、1984(昭和59)年11月20日付の地方紙に掲載されています。

「涼しくて風通しがよく、さらに洗濯に強いセーターはないものか、と考えていた。(中略)そこで、昔からあった夏物洋服のポーラ生地をほどいて、セーター編みの糸にならないものかと考え、山形工業高校に依頼して撚糸をつくってもらった。(中略)会社の研究室であれこれ工夫してサマーセーターの見本をつくったわけです」

目の粗い多孔性の、風通しよくドライな平織の織物をヒントに、米富は「ニットは夏は着られない」という既存の常識を打破しようと素材開発に挑みつづけ、やがて旭化成のカシミロン(アクリル)、イルミヤーン(レーヨン)などの合成繊維を強撚糸加工することにより、独特のシャリ感がある素材の開発に成功。これにより、ようやくサマーニット構想は現実のものとなったのです。

米富繊維は独自に開発したサマーニットの製法やノウハウを同業者に公開しました。山形県ニット工業組合理事長でもあった良一には「個人の事業は県全体の復興事業と密接不可分」という信念があり、山形のニット産業全体の発展を考えたからです。そうして1961(昭和36)年1月の厳冬期に、全国の問屋、商社、デパートを山形県上山温泉に招いての日本初となるサマーニット展示会が開催され、山形生まれのサマーニットはそこで高い支持を得ることとなりました。
サマーニットの誕生と流行は、それまでの「ニットは夏は着られない」という常識を見事に覆しました。さらには、ニット企業の工場稼働率や経営を安定させ、山形はもちろん全国のニット産業や産地を盛り上げ、業界そのものの隆盛に寄与することとなったのです。当時の米富のサマーニット開発担当者であった垂石朝子さんが科学技術庁長官賞を受賞するというニュースまでも生まれました。

山形新聞 昭和44年3月14日、写真提供/山形新聞社
山形新聞 昭和59年11月20日、写真提供/山形新聞社

YONETOMI SUMMER KNITS

素材追求の精神を継承し
終わりのない進化をつづける。

原点であり、進化の歴史を紡いだ、サマーニットのヨネトミ。最適な素材を探求することからはじまるクリエイションのDNAは現在にまで受け継がれ、紡績も撚糸もサマーニットのために開発されたものとなっています。コットン、シルク、 ポリエステルなどの合成繊維それぞれの良さを生かしながら限界まで撚りを強くし、限界まで度詰めして編み立てることで、糸単体では表現しきれなかったドライタッチな表面の編地を実現しています。ますます涼しく、風通しよく、洗濯に強く。とどまることなく進化はつづきます。

もちろん手入れは自宅でかんたんにでき、ふつうの毎日に気負うことなく着られるデザインで、ふつうのTシャツと同じくらい気軽なようでありながら、ふつうのTシャツとはまるで違う上質な素材感と品の良さが滲みでる。そんなサマーニットがいまこの瞬間も米富から、山形の地から、またひとつまたひとつと生みだされています。